せっかくエジプトに行くからには「古代エジプト」に詳しくなりたいもの。歴史を知ればその分旅行も楽しめます。これは私が日本に帰ってから痛感していることです。
「もっと予習しておけばよかった!!」これが今の気持ちです。
エジプト考古学博物館の歩き方
私たちのツアーではエジプトに着いた初日にエジプト考古学博物館に案内されます。そこでいきなり数々の古代エジプトの遺物に遭遇し、圧倒されます。ショック療法的に頭をエジプトに切り替えるという効果はありますが、いかんせん展示品の数と情報量が多すぎるので消化不良になります。その量たるやちょっとやそっとの予備知識では到底ついていけるものではありません。
また少ない知識で漫然と見歩いていると・・・飽きるんです。今にして思えばまだまだ見るべきものが多数あったはずなのに。
せっかくの偉大な博物館を興味を持ったまま歩き続けるためには予備知識が必要です。その知識も断片的なものではなく、歴史的な位置付けや意味合いの体系的なものにしたいものです。
例えば博物館にハトシェプスト女王の頭部像がありました。
しかし、この時点では私にとって数々の展示品の中の一つに過ぎず、これといった感動もなく写真を一枚撮って終わりました。またツアー後半にハトシェプスト女王の葬祭殿を訪れた頃にはすっかりこのことを忘れていました。
しかし、もしあの時に下記のようなことを知っていたら・・・。
ハトシェプスト女王
古代エジプト第18王朝 第5代ファラオ。公の場では男装し、あごに付け髭をしていた。
夫であるトトメス2世は妾腹の息子トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共同統治した。事実上はハトシェプストが実権を握っていた。
治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。
こんなことを知っていたら像のつけ髭の部分をしっかり見たし、写真だってとても一枚では済ませなかったはずです。しかし一つ一つに時間をかけ過ぎると展示品を見切れなくなるので、あらかじめ「ここだけは外せない」というところを旅行前にリストアップしておくと良いでしょう。
下表ようなエジプトツアーの重点チェックリストはいかがでしょうか。
古代エジプト年表
現地のツアーガイドさんはいろいろな遺物の説明をしてくれます。その中には自分が作った歴史リストに載せていなかったりガイドブックにもないようなマイナーなものも少なくありません。だからといって聞き流したらもったいないし、かと言っていちいちメモを取るのも面倒ですよね。
そんな時には時代と王と主なできごとが一覧できる年表があると便利だと思います。
私がよいと思ったのはキリンの年表です。
ガイドさんは「✗✗王の◯◯です」というように説明してくれるので王の名を頼りに時代背景を知ることができます。さらにもっと詳しく知りたかったら日本に帰ってからいくらでも調べられます。だからここではまず記憶と記録(撮影等)に専念しましょう。
別ページでも述べましたが、館内で写真撮影50エジプトポンド,ビデオ撮影300エジプトポンドですがスマホを含む携帯電話での撮影はタダ。(ただしツタンカーメンの展示場はすべて撮影禁止)
今のスマホなら画質は十分ですのでスマホだけで問題ありません。
古代エジプトを見逃さない重点チェックリスト
館内は数々の展示品でごった返しています。親切でわかりやすい陳列を期待してはいけません。お目当ては自分で探すんです。(ツタンカーメンのような有名どころは別として)お目当てがはっきりしていないといろいろ見逃してしまい日本に帰ってから後悔することになります。私の場合は「アメンホテプの像」「トトメス3世の像」「初代ファラオ ナルメル王のパレット」「メルエンプタハの石碑」を見ておけばよかったと悔やんでいます。下記のような写真つけの重点チェックリストをエクセルで作ってまJPEGに変換してスマホに入れておけば見逃しは防げるはずです。ぜひ参考にしてみて下さい。
原始〜初期王朝時代
ナイル川流域の多数の村落(ノモス)がナイル下流の下エジプトと上流の上エジプトの二つの王国にまとまった。B.C.3150年頃 上エジプトのナルメル王が下エジプトを征服してエジプトを統一し初期王朝を形成した。首都は現メンフィス。
博物館にはこの初代ファラオ ナルメル王のパレットがあったはずなのに、それとは知らず見逃した。残念。
古王国時代
首都はメンフィス。エジプト最初の繁栄期。ファラオが神の化身として君臨し全国土と人民を支配する神権体制が確立し、ピラミッドの建設が頂点に達した。
以前はピラミッドは奴隷にムチ打って働かせて造り上げたとされていたがどうやらそれは間違い。当時の人々は進んでピラミッド建造に従事していたというのが今では通説となっている。このピラミッド建造は農業ができない期間の公共事業かつ失業対策であり、交流・情報交換の場でもあった。また人々は毎日ビールが飲めるのをモチベーションにしてピラミッド建造に働いた。
キリンビール「ビールが飲めるからだった」より
ビールが飲めるからピラミッド建造に参加するって気持ちはわかる。ビール好きの私としてはそんなビールを飲んでみたい!キリンが過去に古王国時代のビールを再現したとのことですが、復刻版ビールとして期間限定でもいいので売り出してもらえないものでしょうか。
当時は常温でしょうが今はキンキンに冷やすことができるし。キンキンに冷やした古王国ビール、想像しただけでたまりませんね。
中王国時代
古王国時代後、各地の村落(ノモス)が独立して内乱状態が続いた第1中間期。末期には南北対立の情勢となっていたがB.C.2040頃メンチュへテプ2世がエジプトを再び統一した。
首都はテーベにおかれていたがB.C.1991年頃マメンエムハト1世がイチタウイに遷都した。
新王国時代
中王国時代後、シリア方面からの異民族ヒクソスに支配された時代を第2中間期と呼ぶ。エジプトはまた南北分立の体制になっていたがB.C.1540年頃 上エジプトを支配していたイアフメス1世がヒクソスを追放し、南北エジプトを再統一して新王国時代が始まった。
ツタンカーメンの父 アメンホテプ4世は従来のアモン神中心の多神教から唯一神アトンを崇拝する一神教への宗教改革を断行し、テル・エル・アマルナに遷都した。しかし次に即位したツタンカーメン王は首都をメンフィス、テーベに移しアモン神信仰を復活させた。
B.C.1279年頃即位したラムセス2世は古代エジプト最大の王とされ、彼の統治の時代が最盛期となった。また新首都ペル・ラムセスに遷都した。その次のメルエンプタハ王の死後内政は混乱していき、新王国時代も終焉に向かった。
プトレマイオス朝
マケドニア王のアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)に占領されたが彼の死後、その後継者ラゴスの子 プトレマイオスによってプトレマイオス朝が樹立された。プトレマイオスはファラオを名乗ってエジプトの文化を引き継ぎ、プトレマイオス朝で神殿も多く建てられた。また首都をアレクサンドリアに移し国制を整え、ムセイオン(博物館でMuseumの語源)やアレクサンドリア図書館を建設して学術を進行した。
しかしプトレマイオス朝はB.C.30 クレオパトラ7世の自殺を持って滅亡。これをもってエジプト王国は消滅した。
博物館にプトレマイオス期の遺物はなかった、または調べられなかったのでリストには遺跡のみ記載しています。
遺跡の歩き方
それぞれの遺跡でガイドさんは主要な部分の説明はしてくれますが、その後自由時間となり皆好き勝手に歩き回ります。そうなると自分が遺跡のどこにいて、そこに何があるかがわからなくなってしまいがちです。そんなことがないようにしっかり準備しましょう。
博物館と違いどこに何があるかの事前確認が容易ですので、ガイドブックやWEBで見るべきものを調べておいて重点チェックポイントマップを作成するとよいと思います。下図のようなマップはいかがでしょうか。
これもJPEGにしてスマホに入れておけば便利です。
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